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ドラマ『イ・サン』で重要な役割を…

2019’12.27・Fri

ドラマ『イ・サン』で重要な役割を演じた5人の女性の正体は?

『イ・サン』は今も大変な人気を維持している傑作時代劇だが、イ・サンこと正祖(チョンジョ)に5人の女性がからんでくる。
その女性たちは、実際にはどんな人物だったのだろうか。改めて取り上げてみよう。

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正祖の妻と祖母

まずは、正祖の母親について。
それは、恵慶宮(ヘギョングン)である。
21代王・英祖(ヨンジョ)の息子の思悼(サド)世子と結婚した。
当初は夫婦も仲が良かったが、後に険悪な関係となり、恵慶宮は夫を激しく非難するようになった。
思悼世子は父の英祖によって米びつに閉じ込められて1762年に餓死し、恵慶宮も世子嬪の資格を失った。
しかし、息子の正祖が王位にあがり、王宮内での立場を強めた。
正祖亡きあとも実家の名誉回復に奔走し、1815年に80歳で世を去った。
次に、恵慶宮の姑だった貞純王后(チョンスンワンフ)を取り上げよう。
姑といっても、恵慶宮より年下だった。
それは、英祖の二番目の正妻だったからだ。
貞純王后は英祖より年齢が51歳下だった。
英祖の息子であった思悼世子は10歳上で、相性が悪かったこともあり、思悼世子を失脚させるために陰で動いた。

正祖の時代になってかろうじて罪を免れたが、1800年に正祖が亡くなったときは毒殺説の首謀者と見なされた。
23代王・純祖(スンジョ)の後見人となり、キリスト教徒の虐殺事件を引き起こしている。

正祖の正室と側室

3人目は正祖の妻であった孝懿王后(ヒョウィワンフ)だ。
とても人格者で、宮中で誰もが尊敬するほど評判が良かった。
ただし、正祖との間で子供を宿すことはできず、1821年に68歳で亡くなった。
今でも韓国で「もっとも徳があった王妃」として記憶されている。
次は、正祖の側室だった宜嬪(ウィビン)・成氏(ソンシ)について。
正祖に4人の側室がいたが、その中の1人が宜嬪・成氏である。
『イ・サン』でハン・ジミンが扮したソンヨンのモデルだと言われている。
正祖との間で文孝(ムニョ)世子という名の王子をもうけたが、その息子は5歳で亡くなってしまった。
さらに、宜嬪・成氏は妊娠しているときに若くして亡くなったと伝えられている。
いわば、悲劇の側室なのである。
5人目は正祖の側室だった綏嬪(スビン)・朴氏(パクシ)だ。

正祖との間に、1男1女をもうけた。
その内の王子は1790年に生まれていて、正祖が1800年に亡くなったあと、王位を継いで23代王・純祖(スンジョ)となった。
つまり、綏嬪・朴氏は国王の母になったのである。

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日本と違う韓国のビックリ46

2019’11.28・Thu

韓国でスープと肉料理がなぜ発達したのか

朝鮮王朝時代に育まれた食文化の中で代表的なものがスープ料理と肉料理だ。
それを現代の韓国も受け継いでいる。
もちろん、日本や中国にもいろんなスープや鍋料理があるが、韓国は数が本当に多い。

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儒教が変えた食生活!

韓国料理のスープには、ご飯と一緒に食べる出汁を楽しめる「クッ」、同じくご飯と食べるが出汁よりは具材がメインの「チゲ」、調理しながら食べる「チョンゴル」などがある。
使われる食材と味付けによって種類が多彩だ。
スープが発達したのは、限られた食材を利用してより多くの人を食べさせるためだった。
もちろん、これは食べ物が貴重だった朝鮮王朝時代の生活環境にちなんでいることだが、祭祀(チェサ)を初めとして多くの人が参席する行事が多かった当時の生活文化の影響も大きいと言える。
その証拠として、韓国のスープ料理の中に肉を利用したものが多いことが挙げられる。
朝鮮王朝時代以前の高麗王朝時代までは仏教を国教にしていたために、肉料理はあまり発展しなかった。
しかし、儒教を国教として取り入れた朝鮮王朝時代に入って牛を初めとして肉を食べるようになった。

そして、肉を利用する料理も飛躍的に発達した。
特に、貴重な肉をより多い人に食べさせるためにスープが発達した。
その代表的な例がソルロンタンだ。
牛の骨といろんな部位の肉を長時間煮込んで作るスープで、今もスープ料理の定番としてよく食べられている。
ソルロンタンの由来には諸説があるが、「農業の神の先農氏(ソンノンシ)を祀るとき、いけにえとした牛を参加した人たちと一緒に食べるためにスープにしたもの」が始まりだったという説がもっともよく知られている。
ソルロンタンというスープの名称も、先農(ソンノン)にちなんだものだという。
こうして作られたスープを祭祀に参席した人たち皆で一緒に食べることによって共同体の結束力を固めたのである。
これは今も同じ鍋のものを皆で食べる習慣として残っている。
衛生的によくないという意見もあって、韓国人の中でも嫌がる人もいるが、一般的には当たり前のように受け止められている。

心地よい刺激に対する表現

スープ料理の発達はそれを食べるための道具としてスプーンを定着させた。
同じく箸を使うアジアでも韓国だけが箸と同時にスッカラというスプーン(匙)を使う。
ご飯を箸ではなくスプーンで食べるのも韓国だけだ。
食事のときに欠かさず出るスープ料理の出汁と具を食べやすくするためにスプーンが発達した。
韓国人がスープ料理をどれほど愛するか。
それは日常生活を見ているとよくわかる。
日本人がそばやうどんの麺の喉越しを楽しむように、韓国人は熱いスープが喉を通る感覚を楽しむ。
これも美味しさの1つとして認識している。
面白いのはそのときの表現だ。
韓国人は熱いスープを飲んでは「涼しい!」いう。
熱めの湯に浸かるときも「涼しい!」という。

これは物理的な温度ではなく、心地よい刺激を感じたときの独特の表現なのだ。
それにしても、熱いものを「涼しい」というのは韓国人ならではの感覚だろう。

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韓流の第3次ブームはいつまで

2019’11.04・Mon

韓流の第3次ブームは果たしていつまで続く?

現在は第3次韓流ブームだと言われる。
『冬のソナタ』の放送から始まった2003年頃からの人気が第1次、東方神起と少女時代とKARAが目立った2011年頃のK-POPのブームが第2次、そして、BTS(防弾少年団)を初めとする新世代のグループが人気を得ている現在が第3次というわけだ。
この第3次の人気はいつまで続くだろうか。

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修学旅行の際に新大久保を訪れる若者も多い

逆風が順風に変わった

日本に韓流が定着してから16年が経つ。
ドラマ『冬のソナタ』の大ヒットを契機に日本でも韓流ファンがとても増え、ドラマやK-POPの分野で韓流スターの活躍が目立った。
新大久保には、韓国のおいしい料理を食べて韓流グッズを求めるファンが大勢駆けつけて、その人気は社会現象にもなった。
そんな韓流ブームが絶好調のときに冷や水を浴びせたのが、2012年8月の李明博(イ・ミョンバク)大統領(当時)だった。
彼は竹島(韓国名は独島〔トクト〕)に上陸して日本側を極端に刺激した。
その結果、日本で嫌韓の雰囲気が起こり、それは韓流にとっても逆風となってしまった。
それが影響して紅白歌合戦でもK-POPの出番がなくなり、新大久保を訪れる人も減ってしまった。
韓流にとっては冬の時代が続いたのだが、逆風を順風に変えたのが、BTSやTWICEなどの活躍だった。

さらに、新大久保ではチーズタッカルビや韓国風ホットドッグが大人気となり、再び大勢の人たちがコリアンタウンを埋めつくすようになった。
さらには、原宿の竹下通りにまで韓流関連のショップができた。

根強いファン層に支えられて

第3次韓流ブームは今が真っ盛りだ。
日韓関係は政治的に悪化して、世論調査で「韓国が嫌い」と答える日本人は増えたのだが、「韓国が好き」という人は減っていない。これが心強い。
政治に関係なく、若い人たちは情熱的なカルチャーとして韓流を楽しんでいる。
今や韓流は「ブーム」ではなく、日本の大衆文化の中で「ジャンル」として定着してきたと言える。
「ブーム」なら一過性なのだが、「ジャンル」となれば根強い人が支えていて、そう簡単に衰退することはない。
そういう意味で「第3次」を支えているファン層は固い。
そんな中で、BTS、TWICE、IZ*ONEなどのさらなる活躍が期待される。
特に、TWICEとIZ*ONEは日韓ポップスの広がりを感じさせるグループで、今後も日本での多面的な活動が予定されている。
間違いなく、韓流はエネルギッシュに動いている。

K-POPでは次々と新しいスターグループが誕生しているし、ドラマの分野でも企画力に優れた作品が放送されている。
今後もしばらくは韓流が日本を熱くする。

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イ・サンは毒殺されたのか

2019’10.17・Thu

イ・ソジン主演のドラマと違って史実のイ・サンは毒殺されたのか

22代王・正祖(チョンジョ)はドラマ『イ・サン』の主人公としてよく知られているが、韓国で歴史好きな人は「正祖は毒殺されたのではないか?」と疑っている。
その背景を見てみよう。

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まさに天敵

ドラマ『イ・サン』では正祖の毒殺説がまったく出てこなかった。
それは、イ・ビョンフン監督の意向が優先されたからだ。
物語の最後に正祖が毒殺される場面を持ってくると、ドラマ全体の印象が暗くなるので、あえてイ・ビョンフン監督は毒殺説に触れなかった。
しかし、現実的に正祖が毒殺された可能性はきわめて高い。
そのあたりの事情を見てみよう。
1800年6月、正祖は重病になった。
しかし、彼は主治医に自分の診察をさせなかった。
毒殺されることを極度に恐れていたからだ。
そんな状態だったので、正祖の病状も悪化するばかりだった。
そのとき、看病と称して出てきたのが貞純(チョンスン)王后だった。
この貞純王后は、正祖の祖父として著名な21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の正室である。

正祖の父の思悼世子(サドセジャ)は、当時の政治を牛耳っていた老論派(ノロンパ)の陰謀によって米びつの中で餓死したが、その際に裏で動いた黒幕の1人が貞純王后であった。
それだけに、正祖にとっても天敵に当たる女性だ。
とはいえ、形の上で貞純王后は祖母にあたるので、正祖もまったく手出しができなかったのである。

確かに動機があった

貞純王后は正祖が重病になると現れて、側近たちをみな別室に下がらせた。
つまり、病床で2人っきりになったのだ。
すると、すぐに正祖は息を引き取ってしまった。
果たして、正祖の身に何が起こったのか。
あまりに異常な事態に「正祖は貞純王后に毒殺された」という噂が起こった。
実際に動機もあった。
正祖が亡くなって最も得するのは貞純王后だったのだ。
結局、正祖のあとを息子の純祖(スンジョ)が継いだが、10歳と幼かったので、貞純王后が摂政を行なった。
そして、正祖が進めていた改革をすべてつぶし、その側近たちをことごとく追放してしまった。
さらには、政敵にキリスト教徒が多いという理由で、キリスト教の大弾圧を行なった。

王朝を意のままに動かした貞純王后。
彼女は、正祖の死によって、あらゆる利権を手にして、女帝のようにふるまった。
毒殺の張本人と疑われるのも当然なのである。

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日韓の二千年の歴史27

2019’10.15・Tue

日韓の二千年の歴史27/日韓併合

日本と清は1885年4月に天津条約を結んだ。
この条約では、「朝鮮半島から日本と清の両国軍隊が撤退すること」「朝鮮半島に再び兵を出すときは相互通告すること」が取り決められた。
その年の夏に、興宣大院君(フンソンデウォングン)がようやく清から帰国した。
それはすなわち、朝鮮王朝内部で政治の主導権争いが再び激化することを意味していた。

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日清戦争が始まった

適切な農業政策を実行できない政権の腐敗によって、朝鮮半島の農民の生活は困窮するばかりだった。
そんな農民の救いとなっていたのが東学である。
東学とは、西学(キリスト教)に対抗する東洋思想(儒教・仏教・道教)を意味しており、その根底には人間平等と社会改革の思想があった。
1894年2月、東学を信奉する多くの農民が全羅道(チョルラド/朝鮮半島西南部)で決起して、役所を襲った。
ここに「甲午(カポ)農民戦争」が始まったのである(「東学党の乱」とも呼ばれる)。
総大将は全琫準(チョン・ボンジュン)。
彼に率いられた農民軍は5月末には全羅道をほぼ制圧した。
危機に瀕した政府が清の軍隊に頼ろうとすると、すかさず日本も在留邦人の保護を名目に出兵の構えを見せた。
「清と日本に出兵の口実を与えてはならない」

そう考えた全琫準は政府との和睦を実現させるのだが、それに構わず日本は出兵し、清の軍勢と衝突した。
もはや日本と清の戦闘は避けられなくなった。
1894年8月1日、日本は清に対して正式に宣戦を布告した。
ここに日清戦争が始まったのである。
戦争を遂行する日本の目的は、朝鮮半島を保護国にすることであった。
実際、清との戦争中に朝鮮半島は日本の占領下に置かれた。
憤怒した農民軍は再び蜂起したが、日本軍に歯が立たず、全琫準は捕らえられて1895年3月に処刑されてしまった。

国号を「大韓帝国」に変更

日清戦争を有利に進めた日本は、1895年4月に清との間で日清講和条約(下関条約)を結び、莫大な利権を手中に収めた。
とりわけ大きかったのが、清の勢力を完全に朝鮮半島から追い出したことだ。
これで日本の朝鮮半島支配に拍車がかかった。
危機感を強めた朝鮮王朝は、ロシアに接近した。
とりわけ、明成(ミョンソン)皇后は日本に抵抗する姿勢を鮮明にした。
日本は強硬手段に出て、1895年10月に王宮に乱入した一派が明成皇后を暗殺した。
「国母」とも称される皇后が外国勢力に惨殺されたのだ。
明成皇后亡きあと、朝鮮王朝には親日政権が誕生した。
しかし、1896年2月に高宗(コジョン)はひそかに王宮を脱出してロシア公使館にたてこもり、親日派の高官たちを次々に処罰した。
以後、朝鮮王朝はロシア寄りの政治姿勢を鮮明にした。
冬でも海面が凍結しない港がほしかったロシア。
高宗を懐に引き入れたのは願ってもないことであった。

高宗がようやくロシア公使館から王宮に戻ったのは1年後だった。
彼は1897年10月に国号を「大韓帝国」と改めて初代皇帝の座に就いた。
それ以前、朝鮮王朝は中国に気兼ねして自ら皇帝と称することはせず、格が1つ下がる形の「王」を自称していた。
しかし、日清戦争において日本が勝利したことで、清は朝鮮半島で影響力を失い、朝鮮王朝は独立の証として「帝国」を名乗るようになった。
翌年、興宣大院君が世を去った。
高宗を取り込むようにして主導権を争っていた明成皇后と興宣大院君が相次いで亡くなり、朝鮮王朝の命運も尽きる寸前となった。

運命の1910年8月22日

20世紀に入ると、日本とロシアの対立が非常に激しくなった。
もはや両国の軍事衝突は避けられない情勢となり、1904年2月に日露戦争が始まった。
朝鮮王朝は中立を宣言したのだが、日本は朝鮮王朝の意向を無視し、軍事力を背景に朝鮮半島の全土を支配下に置いた。
日本は1904年8月に第1次日韓協約を強要。
朝鮮王朝は外交に関して日本と事前に協議することを求められた。
もちろん、朝鮮王朝が拒めるはずもない。
1905年9月には、日露講和条約が調印されてロシアは朝鮮半島から完全に追い出された。
すかさず日本は11月に第2次日韓協約を調印。
日本は統監府を設置し、朝鮮王朝は外交権を奪われた。
もはや亡国は避けられない情勢となった。
起死回生を期して、高宗は1907年6月にオランダのハーグで開催された万国平和会議に、日本の干渉に対する不当性を訴える密使を送った。
しかし、すでに朝鮮王朝が外交権を持たないことで失敗に終わり、高宗は日本の圧力によって7月19日に退位させられた。
代わって27代王に就いたのは、高宗の息子の純宗(スンジョン)だった。

7月24日には第3次日韓協約が締結され、日本は朝鮮王朝の内政を掌握し、軍隊を解散させた。
そうした政策を積極的に進めたのが韓国統監を務めた伊藤博文であったが、彼は1909年10月に安重根(アン・ジュングン)によって暗殺された。
結局、1910年8月22日に「日韓併合ニ関スル条約」が調印された。
その条文には「韓国皇帝がすべての統治権を完全かつ永久に日本国皇帝に譲渡する」と書かれている。
この条約は8月29日に公布されたが、それによって518年続いた朝鮮王朝が滅んだ。
統監府に代わって朝鮮総督府が置かれ、日本の植民地統治が始まった。
(次回に続く)

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うさまま

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