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2005年 ペ・ヨンジュン

2014’03.12・Wed

2005年9月号 韓国SCREEN 2
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ここからも日本の雑誌で一部読むことが出来ます↓
** コリア・ムービー vol.8 **




カン・ポンレPDの<外出>制作記
강봉래 PD의 <외출>제작기
記事は↓クリックで大きくして読めます。
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もう一つの冬のソナタ

"あまりにも静かに撮ったのでおもしろい話があるか分からない"というカン・ポンレ プロデューサーが話し始めた瞬間 興味深い話がよどみなくあふれた。
世の中でどんな映画が難なく撮影するだろうかというほど、ヨン様の手ぶり一つに倒れる熱心なファンがぎっしりと埋まっている<外出>の現場は度が過ぎていた。
ホ・ジノ監督は時を考えずシーンを変えて、スタッフ達は板飛びをするように現場をぶんぶん飛び回らなければならなかった。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥

友達と映画をすること

僕とホ・ジノ監督は20年になる友達の仲だ。
延世(ヨンセ)大哲学科82年度入学同期同窓。
青年時代僕たちは同時代を一緒に交感した仲だった。
ほぼ同じ時期に軍隊に行って、ほぼ同じ時期に各自職場生活をして、あらゆる事を途中で止めて映画の場に入ってきた本当によく通じる友だ。
ホ・ジノ監督がデビューする前 僕はパリへ勉強をしに行って、その時ホ監督はバックパック旅行でパリにきて我が家に泊まった。
以後監督は<8月のクリスマス>で嘱望される演出者になって製作会社サイダス(SIDUS)で<春の日は過ぎ行く>の作業を始めた。
その頃僕はやはり韓国に戻って映画会社ポムの創立メンバーとして<涙>のプロデューサーをしていた。
僕たちが会ったのはそれから3年後だった。
"一緒に映画してみよう。
"僕たちの口から自然にこの言葉が飛び出した。
友と映画を作る事がもしかしたら骨を折るかもしれないがホ・ジノ監督が威勢がよかった。

幸福終わり、外出開始!

キャスティングは反転の連続だ。
ホ・ジノ監督が三番目の映画として準備していたのは<外出>ではなく<幸福>だった。
キャスティング過程でコ・ヒョンジョンが出演すると言ったが進行がうまくいかなかった。
正直その時は残念だったが、今は大丈夫だ。
彼女には明らかにそのような理由があったから。
今は時々メールで安否を尋ねたりもして仲良くしている。
僕にとって彼女は相変らず良い俳優で、ドラマで見せてくれたよりさらに多くを見せることができる潜在力が多い俳優と信じている。
そして<幸福>が製作に入ることができなかったのはキャスティング問題だけでなかった。
僕たちはこの映画に秋という季節を入れたかった。
キャスティングはもちろんプロダクション日程に支障が生じて頭の中が複雑になった。
チームはすでに組まれているのに、季節は合わないじゃないか。
そんな苦悶に陥っていたところにホ・ジノ監督が映画振興委員会シナリオ審査をしながら印象深くみた作品を提案した。
すでに以前から映画としてやってみようという話が行き来したシナリオだったが、明らかにこの映画は冬に合う作品だった。
そうだ、決めた。
<幸福>は秋に、<四月の雪>は冬に撮るのだ!

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熱い外出の開始

<外出>を企画した当時僕たちは二種類の方向を決めた。
一つは無条件に悲しい映画に作ろう。
率直にそれは僕の個人的な熱望だった。
僕はずっと心を熱く泣かせる映画をやりたかった。
僕はやはり悲しい映画を見たかったのだが泣ける映画が多くなかったからだ。
ホ・ジノ監督の前作が深い悲しみのあと胸中がひりひり痛んだとしたら、今回は涙がじゃあじゃあこぼれる映画になるだろう。
悲しい感情があらわれる映画がまさに<外出>だ。
もう一つは監督が今まで試みなかったことに対する挑戦だった。
感情を表出すると同時に欲望もそっくりそのままさらけ出すことにしたのだ。
二人の感情をからだの交感を通じて濃く伝達できると信じた。
今まで監督は直接体で表現する場面を撮ったことがない。
だから一層撮ってみたかったのかもしれない。
こんな新しい試みは<外出>をより一層特別にすると信じた。

ペ・ヨンジュン、一度でOK

<外出>をすることに決めた後6月からシナリオ作業に突入した。
そして監督と僕は本格的にキャスティング作業に入った。
主人公インスの役で念頭に置いたペ・ヨンジュンに出演提案をしたところ積極的な呼応を見せてくれた。
決定的に彼に会ったのは8月30日。
彼はCF撮影のため済州島にいて、その日は彼の誕生日のまさに次の日だった。
僕たちは夏の終わりの旅行がてらキャスティングも仕上げるのをかねて済州島行飛行機に乗った。
彼に簡略なストーリーを話したところものすごい好奇心を見せた。
僕たちはシナリオの代わりにA4 15枚にのぼるシノプシス(あらすじ)を手渡して、それをみたペ・ヨンジュンは直ちにすがすがしく答えた。
"ここでシナリオは重要なようでないです。監督、やります。
"そのように一日は映画の話をして、次の日は一緒に済州島を見物して遊んだ。
あぁ、すべてのキャスティングがこのようになるならば!

ソン・イェジン、女性の香りを飛ばす

ペ・ヨンジュンの出演決定以後女優を探し始めた。
監督と僕はソヨンの役は女性らしさが強くなければならないということに意見を集約した。
<外出>は成人メロー映画としてで企画され、体と体があう話が必要だったからだ。
感性を越えて体が表現することがなければならなかった。
こんな雰囲気を出そうとしたら、女性主人公は年齢を離れて女性の香りを持っていなければならなかった。
僕たちはソン・イェジンにそのような姿を見た。
今まで清純な役を多くしたが、僕たちが直接会った彼女は成熟がぷんと漂う人だった。
年齢に比べてとても大人っぽくて驚くほどしっかりしていた。
23才という年齢が信じられない程シナリオを理解する深さが素晴らしかった。
そんな彼女をどうしてのがすことができようか。
結局僕たちは彼女に出演してくれという頼むほかなかった。

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死んだように横たわる演技者を探します!

<外出>のキャスティングはむしろ助演俳優が難しかった。
特にソヨンの夫キョンホ役に適当な俳優を探す事ができなくて難航していた。
その時ペ・ヨンジュンがリュ・スンスを推薦した。
彼が直接リュ・スンスに電話をかけて比重は大きくないがしてくれるかと提案して、リュ・スンスは快く出演を決めてくれた。
彼がする演技は顔に包帯をぐるぐる巻いて初めから終わりまで病院のベッドに横たわっていることだった。
'それは誰でもできる'と無視する演技ではない。
ぴったり3分だけ身じろきせずにじっとしていてみなさい。
それがどれくらい大変なのかすぐに知ることが出来ることだ。
そのためか初めは唾が喉元を過ぎるのがカメラに捕えられて何度もNGを出したりもした。
それでも"横になっている演技を何度かしたからもう体得した。
どのようにしたら微動だにしなくていられるのか分かったから"と言う彼が有難かった。
後には慣れたのか撮影していて静かに寝入ったりもした。
もしそんな役割があったらまた彼に任せてみようか?
次はもっと軽々とやり遂げるだろう?
スンス氏怒るかもしれない。

シナリオ作業は監獄生活?

ディテール(詳細)なシナリオ作業は助監督達の役割だった。
長時間寝食を共にしながらシナリオを書き出した助監督達の功が本当に大きかった。
映画は全部そうだが、今回のシナリオは共同作業の長所が輝いたようだ。
ホ・ジノ監督がシーンについて話したら、それを組み合わせて選んで具体的な場面に書いていった。
それを見て一緒に話をしてまた変える作業をたくさん繰り返さなければならなかったのでさぞや苦しかったのだろう。
そこで考案した方法が場所を移すということだった。
10日あるいは半月ごとにホテルを移動し続けるのだ。
それもうんざりする時はアパートを二ヶ月借りたこともある。
当番を決めてご飯も作って清掃もしながら過ごした。
その時監督が直接料理をして食卓を準備してくれたりもした。
作業が一段階終わって助監督達が宿舎を出る時表情を見たらまるで監獄に閉じ込められていて解放されたような顔だった。
あまりにも静かな友たちなので宿舎に座って夜中までひそひそと話を交わしながら作業をしたが、実は心の中には千仏が現れたのかもしれない。
多分エノジャイジョ(energizer)より体力は落ちるかもしれないが持久力ははるかに強力な友たちだ。

ロケハンは順風に帆をかけたよう

ロケーション場所を決める時一番重要な場所は病院だった。
製作部が全国の病院リストを選んで歩き回ってその映像をカメラに収めた。
そのうちの何箇所かを選んで監督と一緒に確認したが一番初めに見た病院を見て"ぴったり、あそこだなぁ"と思った。
しかし苦労した製作部もいるのであまりにも早く決めるようで互いに話はせずに顔色を窺っていた。
確認次元で候補に決めた何箇所かを歩き回ったが、やはり初めに見たその病院がすっかり気に入った。
そこがまさに三陟医療院だった。
結局そのように撮影地を決めてしまった。
病院を決めてしまったらその他の場所はてきぱき解決された。
シナリオに書かれているように病院の前にモーテルがあって、小さなスーパーと薬局、その前の道路と海辺、竹西楼までないものはなかった。
ゆっくり病院周辺を歩きながら一つずつ撮影地を決めた。
静まり返っていて静かな町、まるで<外出>のために準備された場所のようだった。
インスとソヨンがソウルを離れて馴染みのない所にぽつんと置かれた感情をこの空間は十分に生かしていた。

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クランクイン、気をもみ心を焦がして(労心焦思)でアンニョン~

毎回映画作業をする度に'果たしてこの映画を始めることができるだろうか'という強迫に捕われたりする。
一旦撮影が始まったら終わりはあるはずだから。
そのような意味で僕に告祀(コサ)を行う日は最も意味ある日だ。
豚の頭にお金をさしてお辞儀をしたら、'あぁ、本当に始めるんだな'という感歎詞が自ずと出てくる。
その多くのスタッフがこの日だけを待ったのだから感慨無量なだけだ。
撮影する時は大変でも浮かれても良いのではないか。
映画はなんと言おうが始めが肝心だ。
ところがこの日は朝から一度戦争をしてから告祀を行うことができた。
宿舎でペ・ヨンジュンの周辺をぐるりと取り囲んだファンたちのために彼が身動きできなくなっていたのだ。
俳優の動線まで神経を使わなければならないとは本当に知らなかった。
そんな状況を見てハリウッド スターもあのようではないのだろうかと思った。
あれこれの事で初めての撮影の記憶はやはり万感が交差した。

時間ではなく雪との戦争

2月から6月まで撮影をする間、最大の悩みの種は雪だった。
人口雪を種類によって軽かったり重かったり粒が大きかったり小さかったりなどの差をつけて選ばなければならなかった。
人口雪を準備するのは難しくなかったけれど、本当に雪が降ってこそ撮ることができるシーンがいくつかあった。
それは町にいっぱい雪が降った次の日駐車場でインスが雪玉を投げる場面だ。
このシーンは人口雪ではとうてい表現できないのだ。
三陟の住民たちが3月に必ず一度は雪が降るから心配するなと言って固く信じて雪が降るのだけを待っていた。
待ち疲れてソウル撮影の方を先に撮ることにして三陟を離れたところ、まさに翌日の明け方雪がこんこんと降りしきった。
全スタッフが大雪が降る道路を走ってあたふたと三陟へ帰った。
そこへ到着して駐車場シーンを仕上げることができた。
この場面を撮る時ペ・ヨンジュンがどうして雪玉をうまく投げたのか まるで野球選手のようなフォームや速度が予想外だった。
壁に雪の玉がぶつかるインサート(挿入物)を撮影しようと他の人が投げるのだが彼が出した速度を出せないというのだ。
監督も"なぜできない?"と言って直接投げてみて、"うまくできないね"と言ってあっはっはっと笑った。
その時僕たちがペ・ヨンジュンに運動選手だとものすごくからかった。
だから台詞にも入った。
インスが雪玉を投げるのを見たソヨンが駐車場に降りてきて"運動されてたんですか?"と尋ねる台詞が即席で作られた。
そのようにリアリティーを活かしてくれた3月の雪はとても甘かった。

コンサートの歌が止まる時

コンサート場面を生き生きと表現するために実際にコンサートを開くことにした。
そのために準備しなければならないことは倍に増えたが躍動感のためだと固く決心して進行に着手した。
コンサート前日、当日、翌日、総3回の撮影があった。
当然コンサート当日一番緊張したのは事実だ。
もともとコンサートが進行される間カメラを何台か回して公演を中断せずに撮影しようとしたがそれが思い通りうまくいかなかった。
たった一度、僕たちが願う絵とサウンドのために公演を中断したことがあった。
僕たちはラブホーリックの歌が出てくる時野外劇場の向こう側の太陽がゆっくりと沈む様子とインスの顔を一つの画面に入れたかった。
コンサート演出者と正確に夕焼けが沈む時ラブホーリックが舞台に上がることで約束したが、技術的な問題で順序がつかえて進行が少しずつ遅れてしまった。
結局日が沈む頃、公演をしばらく中断させてラブホーリックを舞台上に上げた。
それを一度で合わせてみようと思ったので。
こういうのを挑戦精神といわなければならないのか?
それでも思ったより順調に進行されたシーンだから、今考えても感激して胸がいっぱいになる。

海南(ヘナム)撮影の迂余曲折エキストラ

<外出>を撮りながら最も記憶に残るのは海南撮影時のエピソードだ。
インスとソヨンが自分の配偶者が事故を起こした相手の運転者が死亡して喪家に訪ねて行くシーンをとる時だった。
そのシーンは遺族に謝罪して帰る道でソヨンが道路に立ってひたすら泣く場面につながった。
荒涼とした道路の感じを撮るために僕たちは海南の葦原を撮影場所に決めた。
広い平野に長くのびた道路横に葦原が広がっているその場所は撮影地として適格だった。
その近所の田舎の家に交渉して主人のおじいさんに許諾を貰っておいて撮影当日訪ねて行った。
ところがおじいさんがペ・ヨンジュンを見るやいなや手首を掴んで室内に入るではないか。
皆あきれてぼうぜんと立っていて、身動きできなかったペ・ヨンジュンはサイン5枚して差し上げて出てくることができた。

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その次に撮影を始めようとした途端、ソウルからおじいさんの息子が急に来て撮影できないと拒否して口出しした。
理由はつまり、何日か前にお母さんが亡くなって喪を行ったのにどうしてここで喪家場面を撮るのかとのことだった。
だからといって素直に撤収することはできないこと。
全スタッフが食いついて説得してまた説得したあげく撮影許可を貰った。
おまけにその方を即席でエキストラとしてキャスティングしてカメラの前に立たせた。
ホッ~冷や汗をかいた撮影だった。

三陟海水浴場、安物 ミュージックビデオ?

インスとソヨンが宿舎近くの海水浴場を散策しながら思い出を重ねる場面を撮るために三陟海水浴場へ出かけた。
シナリオ上では天気が曇るべきなのに一日中天気がよかった。
ずっとリハーサルだけして結局予定になかったカフェシーンに変えた。
もう突然の撮影変化に慣れたスタッフは少しも動揺せずにてきぱき状況に合わせて動いた。
特にこの日は国内映画誌記者が多数取材に来ていたので普段よりさらに気を使った。
やむを得ずカフェシーンを先に撮って曇る天気を待ったあげく待望の海水浴場デートシーンを撮った。
今回の撮影をしながらホ・ジノ監督はカメラ使用に若干の変化を与えた。
ロングテイクが多かった以前とは違ってクローズアップをしばしば使って人物にフォーカスを合わせる方法だ。
この場面もやはり遠く見える海をフォーカス アウトさせて二人の表情をタイトに捉えた。
僕たちの間で 'これ撮り間違えたら安物 ミュージックビデオのようになるかも' と言って心配したりもした。
インスとソヨンが携帯電話のカメラでセルカを撮って海辺を離れるシーンを撮影してみたら二人の寂しい感情がうまく収められたようだ。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・

ある日本のおばさんのヨン様追っかけ大作戦

私にはとても親切なヨンジュン氏

ファンたちは撮影がある日ならば三陟(サムチョク)を訪ねる、撮影がない日ならばソウル市内をこのようにくまなく捜してまわった。
ひとえにペ・ヨンジュンに一度会うという一念で彼らがした努力は多分驚くべき水準だ。
ここにある日本のおばさんがペ・ヨンジュンに会うために孤軍奮闘した行跡を公開する。

私は日本の40代家庭主婦です。
私にひけをとらないヨン様ファンの友達4人と一緒に彼に会うために何も考えずにソウルへ向かいました。
映画会社を通じてやっと探し出した結果彼は今週中ずっと三陟撮影がありませんでした。
彼に会う道ははるかに遠かったかれど、私たちには秘蔵の武器がありました。
普段彼がよく訪れる美容室、飲食店、店、ヘルスクラブなどの目録です。
私たちは目録を見ながら彼がどこへ行くのか推理し始めました。
その時彼が普段ウェートトレーニングをよくするという話が思い浮かびました。
ヘルスクラブに電話をかけたところちょうど1時間後にヨン様が予約をしたというニュースを教えてくれたんですよ。
大急ぎでそこに着いたらすでに三十人を越えるファンたちがおられたのです。
そのヘルスクラブは有難いことに1日使用券を1万円(約10万ウォン)で販売していました。
ヨン様も見て運動もしてサウナも入って一石三鳥という思いですぐ使用券を買ってヘルス場に入りました。
ただ、ヨン様が運動をしている時近くへ行ったり話しかけてはいけないという注意を聞きましたよ。
なんとまぁ、そこには定刻に到着したヨン様が運動をしていました。
遠くから彼を見られるということ自体でも私たちは幸せでした。
ソウルに居た4泊5日間毎日ヘルスクラブに行きました。
いつのまにか最後の日になって、残念な気持ちで彼を見守っていました。
結局離れなければならない時間が近づいて、そこを出たのですが、私がうっかり更衣室にカバンを置いてきたのです。
友達に申し訳ないと思いながら戻ってこなければならなかったんですよ。
ところがなんとまぁこれがなんとした事でしょう。
その時ちょうど運動を終えてヘルス場を出るヨン様とちょうど出くわしたんですよ!
すぐに彼のほうに走って行って握手もして抱擁もして記念写真もとりました。
ソウルに来て奇跡のようなことが起こったんですよ。
ヨン様に会えるように助けて下さったすべての方々に重ねて感謝申し上げます。
もう一度必ずソウルを訪ねると誓いながら家へ帰りました。

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クランクアップはやはり警察署

数日前撮影を始めたようだったのにいつのまにか4ヶ月が流れて最後の撮影日になった。
<外出>撮影の有終の美を飾ったシーンはインスが雪が降る道路を走る場面。
中部高速道路昆池岩へ行く道でとったのだが、やはり簡単に過ぎるシーンではなかった。
その日に限って空気中の湿度があまりにも高かったのか人口雪素材が凝固して雪がうまく飛ばなくて苦労した。
その上2車線を40キロメートルで走りながら撮影をするので後から僕は警光灯を揺って車を防ぎながら進行した。
少々撮ったかと思った途端、案の定パトカーが浮かび上がった。
60キロメートル以上で走らなければならない高速道路だから規定速度違反でひっかかったのだ。
いつものように撮影最後の日は製作室長が警察署に行くことで終えた。
誰も事故なく撮影を終わらせたことに感謝して小さい罰金刑に喜びながら僕たちは一緒に大声を張り上げた。
"ウワー,終わった!"

ヨン様珍風景
ヨン様出た所は皆名勝地

ヨン様が行く所には間違いなく日本ファンたちが追いかけた。
<外出>を撮影した2月から6月まで三陟は日本ファンで混み合った。
特にスタッフらの宿舎であったサムフンモーテルの前には日本ファンと旅行社職員らがいつも待機状態。
毎日撮影場所を知ることができなかった彼らはスタッフが移動するのを見るやいなやタクシーに乗って追いかけてペ・ヨンジュンが登場するのを待った。
そのように明け方から夜遅くまでペ・ヨンジュンを見るための日本ファンたちの熱を帯びた努力は続けられた。

一方ペ・ヨンジュンの自動車番号をよく知っているファンは彼の宿舎のパレス ホテルの前で待って車を発見すると同時にすぐにタクシー運転手に追跡してくれとお願いして撮影地を訪ねたりもした。
だから宿舎の前にはいつもタクシーが待機中だった。
そのように撮影をする間ファンたちで混み合ったが彼らはただの一度もサウンド事故を起こしたことがないほど秩序整然として静かだった。

どこへ行っても押し寄せるファンのためにペ・ヨンジュンの活動が自由でなかったのは当然のことだ。
一度は撮影途中彼がインターネットを使わなければならないことが起こってPC喫茶店に行かなければならなかった。
この時ボディガード11人が近所のPC喫茶店を物色して周辺を整理して(?)彼を案内したという。
そして撮影する間彼がしばしば行った食堂やカフェはファンたちの訪問で人だかりを作り上げた。
その中セウネ食堂はペ・ヨンジュンが9回も訪ねたといってファンたちの間に有名になったところ。
内部を詳しく調べてみたらペ・ヨンジュンのサインも探すことができる。
しかし観光客らが押し寄せ始めて彼の足は遠のいて、ただ彼が座った席を見て両手を合わせて喜ぶファンたちを容易に探すことができる。
ここではヨン様定食を1万ウォンで売ったりもする。
またペ・ヨンジュンが立ち寄ったといって有名になった自転車泥棒というカフェもやはり盛業中だ。
彼が座った席はファンたちが残したメッセージでいっぱいで、その内容を熱心に読んでいるのも彼のファンだ。
カフェ内部が完全にペ・ヨンジュンで塗壁工事されている。
現在三陟はすべてペ・ヨンジュンと<外出>関連商品で飾られている。

-BYJ's History-


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