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ペ・ヨンジュン 過去への旅路 最終回

2016’07.01・Fri

ペ・ヨンジュン 過去への旅路 最終回

最終回 『太王四神記』に主演

映画『四月の雪』の撮影は2005年6月に終わったが、その直後にぺ・ヨンジュンは体調不良で入院してしまった。
それくらいぺ・ヨンジュンは精魂尽き果てた。
彼はいつものように全力でドラマの撮影に没頭していたのである。

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「心はいつも家族と一緒です」

映画『四月の雪』の公開を前に、2005年8月に台湾や日本を訪問して、自ら積極的なPR活動を行なった。
日本では、さいたまスーパーアリーナでのファンミーティングに登場し、ファンと熱い交流を行なった。

そのときに、ぺ・ヨンジュンは「心はいつも家族と一緒です」という言葉をファンに贈ったが、それは、誰もの心にいつまでも残る名言となった。

9月に入って、韓国と日本で『四月の雪』は公開された。
韓国では、ちょうど旧盆の連休時の上映だったが、コメディのような娯楽作品が人気を集め、『四月の雪』の興行成績はよくなかった。

それは残念な結果だったが、逆に日本ではぺ・ヨンジュンのファンが映画館に詰めかけ、約27億円というりっぱな興業成績をあげた。

これは当時、日本で公開された韓国映画の史上1位の興行額だった。
ぺ・ヨンジュンとしても、改めて日本のファンに支えられてるという気持ちを強く持ったのではないだろうか。

『四月の雪』の公開以後、ぺ・ヨンジュンは出演が決まっていた『太王四神記』の撮影準備に入った。
乗馬を覚え、激しいアクションシーンに備えて体力トレーニングを継続して行なった。

しかし、肝心の撮影は、盗作疑惑や台本の未完成などが理由で遅れ、ぺ・ヨンジュンとしても非常に苦しい時期を過ごした。

平均視聴率は30%以上

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2006年5月には、韓国の雑誌「GQコリア」の中で、「重圧から夜眠れない」という苦悩の告白もしている。

彼としても本当につらかっただろうが、制作会社への投資やレストランのプロデュースなどビジネス面にも力を入れ、自分の可能性を広げる試みを続けていた。

2006年の後半からようやく『太王四神記』の撮影に参加し、自分なりの広開土大王(クァンゲトデワン)の人物像を作り上げることに集中した。

何度も放送延期になった末に、『太王四神記』は2007年9月11日から韓国のMBCで始まり、12月5日まで24回放送された。

話題作だけあって平均視聴率は30%を越え、『太王四神記』は大成功をおさめた。
ぺ・ヨンジュンは2007年12月30日に行なわれたMBC演技大賞において、栄えある大賞を受賞し、改めて韓国でトップクラスの俳優であることを内外に印象づけた。

今や、ぺ・ヨンジュンの過去をめぐる旅も終わりにさしかかってきた。
彼が歩んできた道を振り返ると、「自己管理が徹底している」「妥協せずに最高の作品を作り上げるために努力を惜しまない」「自分なりの明確な人生哲学を持っている」ということがよくわかる。

そんなペ・ヨンジュンも、今までに何度も大きな転換期を迎え、それを乗り越えて成長してきた。
その一つ一つを、過去をめぐる旅の最後に振り返ってみよう。

ケガの功名

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デビュー後に順調にスター街道を歩んだペ・ヨンジュンだったが、大きなケガに見舞われてしまう。
1997年6月、武術道場で足を骨折したのである。

ドラマ『初恋』で爆発的な人気を得た直後で、本人は意識していなかったかもしれないが、多少の心の緩みがあったのではないか。
まさに「好事魔多し」である。
しばらく病院のベッドに釘付けになる日々が続いた。

本来、からだを動かすことが大好きなペ・ヨンジュン。
ベッドから動けなくなってしまうと、必然的に気持ちは自分の心の中に向かっていく。
そのとき、いろんなことを考えたと思う。
今まで外に向かって自分を発散させていたのに、逆に自分の内面を深く見つめるようになったのだから……。
「自分という存在は何なのか」ということを自問自答したはずだ。
身動きできないだけに、本もたくさん読んだ。

本から得られる知的な世界は魅力的だった。
ペ・ヨンジュンはベッドの上で夢中になって読書に明け暮れ、いつしかそれが習慣になった。
今、彼からにじみ出ている教養は、数多くの書籍から得られたものだ。
そういう読書習慣が身についたという意味でも、ケガで入院したことは無駄ではなかった。
自分の内面を見つめようとする姿勢が生まれたという意味でも、まさに「ケガの功名」になったのである。

たとえ視聴者がたった一人でも

4_20160701175105da5.jpgペ・ヨンジュンの人生の転換期を振り返る旅は続いている。
俳優として、彼が最もつらかったのは、1999年から2000年にかけての時期ではないだろうか。

1999年には『愛の群像』に出演しているが、その前作の『裸足の青春』は視聴率がよくなかった。
やはり、テレビドラマの主役というのは視聴率によって人気を評価される割合が高く、『裸足の青春』がよくなかったからこそ、次の『愛の群像』にはペ・ヨンジュンも期するところが大きかった。

しかし、『愛の群像』は作品性こそすばらしかったが、視聴率はよくなかった。
加えて、途中で打ち切りという憂き目を見た。
主役としてペ・ヨンジュンは大きな責任を感じた。
けれど彼は、「たとえ視聴者がたった一人でも私は全力を尽くして演技をします」と気丈に語った。
ぺ・ヨンジュンは自分がすべきことを決して忘れず、支えてくれる人たちのために最後まで努力を惜しまなかった。

苦しみは非常に大きかったが、『愛の群像』でジェホ役を真摯に演じきったことで、彼は俳優としてひと回りもふた回りも成長した。

その後は、成均館大学の映像学科に入り、オールAという優秀な成績をおさめるほど学問に没頭した。


大衆文化のエネルギー



今から振り返れば、ぺ・ヨンジュンにとって一番大きなターニングポイントになったのは、やはり『冬のソナタ』である。

ただし、2001年12月に『冬のソナタ』の撮影が始まった時点では、ぺ・ヨンジュンも特に大きな意味を感じていたわけではない。
デビュー作品のときに世話になったユン・ソクホ監督への恩返しのつもりで、シナリオも読まずに『冬のソナタ』に出ることを決めたのだ。

それは、彼にしてみればごく自然な感情だったのだが、結果的に『冬のソナタ』は史上に残る傑作となり、ぺ・ヨンジュンは韓国国内のみならず、日本や他のアジアの国々でも大人気を博すほどの大スターになった。

同時に、日本で爆発的な韓流ブームが起こり、日韓関係に良い影響が及んだ。
政治や経済ができなかったことを一つのテレビドラマが成し遂げたわけであり、改めて大衆文化のすさまじいエネルギーを実感した人も多かっただろう。

その中心には、ぺ・ヨンジュンがいた。

彼のこれまでの歩みを振り返ったときに、『冬のソナタ』の出演が最も大きな出来事になったことは言うまでもない。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

-愛してる韓国ドラマK-POP-





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