FC2ブログ

「うどん屋」のようだった駐韓日本大使館

2017’09.12・Tue

「うどん屋」のようだった駐韓日本大使館、新築も険難

20170911102702-1.jpg
1000回目の水曜集会を記念するために建てられた少女像が語ることなく凝視する中で2012年8月に旧日本大使館周辺を警察がパトロールしている。

いまは取り壊されたが、ソウル・景福宮(キョンボックン)の向かい側の中学洞(チュンハクドン)には高層ビルの森に囲まれたみすぼらしく低い建物が建っていた。
作られて40年を超えたこの5階建ての赤いれんが色の建物がまさに多くの受難を体験した日本大使館だった。
ソウル駐在日本外交官と特派員の間では「うどん屋」と呼ばれていたこの公館は、韓日関係が悪化するたびに攻撃の標的になった。
悪材が起きるたびに噴出した反日感情のターゲットになった格好だ。
そんな日本大使館が2015年から再建築に入った。
だが建築許可が下りることから順調でなかった。
いったいどんな理由のためだったのか、その理由を調べてみた。

2年前まで建っていたソウル・中学洞の日本大使館を初めて見れば予想より規模が小さいと感じられるのが常だ。
好むと好まざるにかかわらず、すぐ隣の国である上に、韓国とはどんな国よりも重要な経済関係を結んできた国が日本だ。
世宗路(セジョンノロ)の大通りに堂々と建っている米国大使館だけでなく、最近建て替えられ雄大な規模を誇る中国大使館、ロシア大使館と比較しても窮屈なことこの上なかった。

好きでも嫌いでも日本は中国が急浮上する前の2000年代初期までも米国に続き2番目に大きな貿易相手国だった。
1970~80年代の高度成長も日本の技術伝授なくしては不可能だったということは公然の秘密だ。
嫌うことはできても重視しなければ困る国が日本であるのだ。

そんな日本の大使館がどうして中学洞の路地裏の狭い敷地に入ることになったのだろうか。
事実1965年の韓日協定で国交が再開された際に日本政府が望んだ大使館の敷地はここではなかった。
朝鮮末から日本公使館(乙巳保護条約後に朝鮮統監府に昇格)が位置した芸場洞(イェジャンドン)を日本政府は大使館用地として望んだ。
歴史を探ってみればそうするだけの理由があったことを理解することになる。

海外公館は国力誇示とともに駐在国に対する関心を現わす手段でもある。
19世紀末にどこの国より朝鮮に関心が多かった日本がこの土地に大きな公館を建てたということは極めて当然のことであろう。

日本は1880年に初めてソウル・西大門(ソデムン)の外に公使館を設置したが、2年後の1882年に壬午軍乱で焼失してしまうと市内各所を転々としなければならなかった。
そうするうちに結局1885年に南山(ナムサン)北側の裾野の倭城台(ウェソンデ、現在の芸場洞一帯)に洋式の公使館の建物を新たに建て移って行った。
現在のソウルアニメーションセンターの場所だ。
このように用意された日本公使館は1905年に乙巳条約が締結されると1年後の1906年に朝鮮統監府に昇格することになる。

1910年に韓日併合がなされた後、朝鮮総督府が設置され統監府の建物は総督官舎として使われた。
日本政府から見るなら芸場洞の場所はとても意味のある場所なのだ。
こうした歴史を考慮してみると日本政府がここを新しい大使館の場所として要求したのも無理はなかった。

だが朴正熙(パク・チョンヒ)政権はこれを受け入れなかった。
韓日協定以降険悪になった反日感情を考慮した措置だっただろう。
これによって日本政府が結局得られた場所がまさに現在の中学洞の旧大使館の場所だ。
後日談だが自分たちが考える国家的地位に比べ大使館の位置と建物の大きさがあまりに不十分だと考えた日本政府は調査チームを派遣して敷地選定経緯などを調査したという。

このようにようやく建てられたが日本大使館は継続して反日運動のターゲットになってきた。
2012年7月には60代のトラックドライバーが自身のトラックを走らせ日本大使館正門に突進した事件も起きた。
「独島(ドクト、日本名・竹島)は日本の領土」と書かれた杭が大使館前に設置されたことが突進理由だった。
これだけでなく反日感情が拡大する事件が起きれば汚物、甚だしくは火炎瓶が大使館に投げ込まれるケースも珍しくない。

20170911102747-1.jpg
新築工事が始まったことで2015年7月に日本大使館はソウル・鍾路区のツインツリータワーの臨時庁舎に移転した。

日本大使館が体験してきた受難の歴史はここで終わらない。
1992年1月に当時の宮沢喜一首相の訪韓に合わせて始まった慰安婦真相究明に向けた水曜集会も日本大使館側を苦しめてきた。

25年目に入った水曜集会は新築工事のため日本大使館が近隣のビルに移ったのに依然として同じ場所で開かれている。
13日には1300回を迎える。
特に2011年12月には水曜集会1000回目を記念するため慰安婦少女像が大使館正門前に建てられ韓日両国間の尖鋭な問題に飛び火した。
日本政府は「各国政府は外国公館の安寧と品位を維持する責任がある」というウィーン条約を根拠に少女像撤去を主張している。
少女像撤去問題は2015年12月に結ばれた韓日慰安婦合意に取り上げられるほど日本側では重大懸案と考えている。
したがって韓日関係改善のためには、韓国政府が他の場所に移転するにしても、そうでなければ日本側が黙認するにしても、少女像問題はいつかは解決しなければならない揮発性の高い問題だ。

日本大使館が体験しなければならなかった受難の歴史はデモのターゲットになってきたというところでは終わらなかった。
狭くて古い大使館の代わりに新しい建物を作るのにもあらゆる困難を経験しなければならなかった。

日本政府は2012年に、36年前に建てられた古くて狭い過去の建物(地下1階、地上5階)を取り壊し、新しい大使館(地下3階、地上6階)を作るという計画を立てた。
この計画の通りならば延べ面積3604.8平方メートルから3倍余りの1万1358.9平方メートルに増えることになっている。
だが大使館の位置が景福宮から近いという事実が足を引っ張った。
文化財保護法によると文化財指定区域から100メートル以内には高さ14メートル以上の建物は作れないようになっている。
ところが日本大使館は敷地の一部が100メートル条項に引っかかり、6階建ての建物の新築が難しかったのだ。
しかし日本政府は景福宮と大使館の間にすでに17階建ての高層ビルが建っているだけに新築の建物は周辺の景観を傷つけないと主張し建築許可を出すよう要請した。
こうした主張にもかかわらず、文化財庁は当初日本大使館新築を許さなかった。

偶然にも同じ時期の2013年6月に日本・東京に位置した韓国大使館が新築の建物に入る時だった。
地上7階、地下1階で、駐韓日本大使館が作るという建物よりも広い1万4711平方メートル規模の華やかな公館だった。
このため日本大使館新築を認めないとのニュースが日本に伝えられると反韓感情が悪化する契機になったりもした。

結局文化財庁は外交部が「肯定的に検討してほしい」という公文書を送ってきたことから2013年7月に条件付きで新築を承諾する。
「重要な文化遺跡が埋没している公算が大きいところであるだけに建築過程で遺跡が発見されれば発掘調査後に再審議する」ということが条件だった。

実際に2016年1月には撤去作業中の大使館の敷地で朝鮮時代のものとみられる遺物が発見されたりもした。
だが文化財庁の審査の結果、発掘された30点ほどの遺物は保存状態が良くない上に製作時期も明確でなく、3カ月で工事は再開された。

一方、日本大使館は新築工事が始まり既存の場所のすぐ前の17階建てツインツリータワーに2015年7月に移転した。
今後新しい大使館が完工すれば近隣の利馬(イマ)ビルで業務を行っていた領事部も同じ建物で業務をする予定だ。

日本大使館が経験してきた受難の歴史は不便な韓日関係の後遺症だ。
遠からず完工する新しい日本大使館がいくら立派に建てられても韓日間の紛争が解決されない限り反日デモのターゲットとして残ることは明らかにみえる。

-中央日報-



ブログ村に参加しています。
拍手にポチッ!ブログ村にポチッ!としてくださるととても嬉しいです

にほんブログ村 芸能ブログ 韓国男性芸能人・タレントへ
にほんブログ村 web拍手 by FC2
line
line

line

うさまま

Author:うさまま



新旧織り交ぜたヨンジュンssi

のフォトやニュースを楽しみながら、毎日を頑張りましょう!

遠くても心はいつも

ヨンジュンssiと一緒に…

line
line
 今月のカレンダー☆12月
line
 にほんブログ村
にほんブログ村 芸能ブログ 韓国男性芸能人・タレントへ
line
日本公式
bofi.jpg
line
韓国公式
mo.jpg
line
公式モバイル・スマホサイト
mo.jpg
line
おすすめリンク 
line
最新記事
line
イトーヨーカドー
line
 ロフト
line
 楽天市場
line
 Amazon
line
月別
line
カテゴリ
line
検索フォーム
line
お気軽に 
line
お便りフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

line
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

line
QR
line
sub_line