『雲が描いた月明かり』の時代 3
2017’11.28・Tue
イ・ヨン(孝明世子)とホン・ラオンの関係は?
大ヒットした『雲が描いた月明かり』では、パク・ボゴムがイ・ヨン(孝明世子〔ヒョミョンセジャ〕)を演じて、キム・ユジョンがホン・ラオンに扮していた。
2人の関係を具体的に見ていこう。

王族の秘書役
イ・ヨンは将来の国王が約束された身分であったが、その世子を様々な面で世話をしたのが内侍府(ネシブ)にいる内官(ネグァン)たちであった。
内侍府とは、どんな組織なのか?
わかりやすく言えば、王族の食事を管理し、秘書役として王族の世話を全般的に見る官庁である。
それだけではなく、王族の命令を各部署に伝え、さらには、門番をして王宮の護衛まで引き受けている。
とても多忙な組織であった。
原則的に、内侍府の内官は宦官(かんがん/去勢された男子の官僚)である。
そういう内官に女性のホン・ラオンがなるというところが、『雲が描いた月明かり』の重要な設定になっていた。
内官は王族にピッタリ寄り添うので、イ・ヨンとホン・ラオンがいつも一緒にいるのは、なんら不思議はない。
ただし、内侍府の内官になるときには、「本当に去勢された男子であるか」を厳しくチェックされるので、女性がなりすますことはありえない。
英雄視された洪景来
確かに、ホン・ラオンが内侍府の内官になるのはありえない。
しかし、ありえないことを起こしてストーリーを動かすのもドラマの醍醐味だ。
イ・ヨンのそばに仕えるホン・ラオンの存在そのものが、『雲が描いた月明かり』をとても面白くしていた。
そのホン・ラオンは、洪景来(ホン・ギョンネ)の娘という設定になっていた。
史実を見ると、洪景来が反乱を起こしたのは1811年のことだった。
大凶作となって庶民が餓えているのに、政権が重税を課したことで洪景来は決起した。
洪景来を首領とする反乱軍は10日ほどで7つの城を占領して勢いが良かったが、政府軍の反攻によって次第に窮地に追い込まれ、拠点となる城で長く籠城した末に制圧されている。
そのときは、「洪景来の乱」に加わった約2千人が処刑されたと言われている。
結局は殺害されてしまった洪景来だが、政権の悪政を正そうとしたという意味で英雄視される面もあった。
そうした洪景来が『雲が描いた月明かり』に登場するのも、ストーリーの展開上では興味深いことだった。
縁があってこその登場
もう1人、イ・ヨンとホン・ラオンの2人に重要な人物がからんでいた。
『雲が描いた月明かり』ではアン・ネサンが演じた丁若鏞(チョン・ヤギョン)だ。
彼はドラマの中で、ホン・ラオンの恩人という設定だった。
それだけではなく、イ・ヨンが悩み苦しむときに適切な助言を与える師匠のような役割でもあった。
この丁若鏞は、歴史上でもイ・ヨン(孝明世子)に関係していた。
それは、孝明世子の最期の日々のときだ。
史実では、孝明世子が病に倒れたのは1830年の閏4月22日だった。
急に喀血して具合が悪くなった。
5月4日になると、さらに病状が悪化した。
5月5日に呼ばれたのが丁若鏞だった。
彼は著名な思想家で名著がとても多かったが、漢方薬についても博学だった。
孝明世子を診察した丁若鏞は、すでに孝明世子の寿命が尽きていることを悟った。
すでに、手の施しようがなかったのだ。
そして、丁若鏞に見守られるような形で、孝明世子は5月6日に亡くなった。
最期の日々に丁若鏞が孝明世子のそばにいたという史実は意味深い。
『雲が描いた月明かり』に丁若鏞が登場するのも、それだけの縁があったからなのだ。
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