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「王になった男」実在の王、光海君と…

2019’10.31・Thu

「王になった男」実在の王、光海君と王妃の人生はどのようなものだったのか?
2012年10月01日

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21世紀型のリーダー光海と名もなき王妃

映画「王になった男」が秋夕(チュソク:韓国のお盆にあたる祭日)の連休に観客動員数500万人を突破した。
「王になった男」は朝鮮時代の王、光海君(クァンヘグン)をモチーフにしたフィクション時代劇である。
映画が大ヒットし、実在の人物である光海君への関心も高まっている。

「王になった男」は賤民(最下層の階級の身分)のハソンが、王の代わりを務めた15日間の物語を描いており、ワールドスターのイ・ビョンホンが光海とハソンの一人二役を演じた。
またハン・ヒョジュが光海の王妃役を演じた。

毒殺の危機に陥った王、光海の代わりに賤民のハソンが大同法(国に捧げる特産物を米に統一する法律)を施行し、民を心から思うリーダーの姿が描かれた「王になった男」は大統領選挙まで100日を切った現状に、政治的メッセージを投げ掛けている。

もしかしたらイ・ビョンホンの一人二役で表現された光海の二つの姿は、暴君あるいは策略家と呼ばれる光海君に対する後世の評価が間違っていると語っているのかも知れない。
この映画は、光海という朝鮮時代の悲運の王の人生に対する観客の好奇心をくすぐった。
では、実際の光海君、そして彼に添い遂げた王妃はどんな人生を送ったのだろうか。

MBC「無限に挑戦」にも出演した延世(ヨンセ)大学教育大学院歴史学科修士ソル・ミンソク講師は、インタビューで実際の光海君と彼の王妃について説明した。

彼は「光海君に関する記録は間違っているところも多い。西人(ソイン:朝鮮時代の政治派閥の一つ)が数百年間に渡って朝鮮を支配し、実録に光海君の名前も記録しなかった。『光海君の日記』という彼の死後に記録された本があるが、これも歪曲されたところが多い」と語った。
そして「王妃ユ氏に関する記録はさらに不足している」と付け加えた。

さらに彼は「光海君の評価が極端なのは、歴史というものが時代精神を反映するからだ。現在の学会では、光海君が腹違いの弟を殺したというような過ちを隠そうとしているわけではないが、再評価されるべき人物であるということには同意する傾向だ。蔑むには、あまりにも多くの業績を残した人物だ」と述べた。

彼は光海君の業績を5つにまとめた。
業績の1つ目は戦乱の収拾である。
壬辰倭乱(文禄の役の朝鮮側からの呼称)が起こった当時、先代の王である宣祖(ソンジョ)が鴨緑江(アムノッカン)の近くに逃げ、急いで皇太子に定めたのが光海君だった。
国王である父親まで逃げてしまった状況の中で義兵を励まし、民心を治めた光海君はリーダーとしての資質を持った人物だったのである。
戦争が終わった後も光海君は昌徳宮(チャンドックン)や慶熙宮(キョンヒグン)などの宮廷の修復にも力を注いだ。

2つ目は号牌法(朝鮮時代に導入された身分証明・戸籍制度)である。
これも戦乱の収拾から始まった制度である。
戦争が起こったせいですべての文書が燃やされ、奴隷と両班(ヤンバン:朝鮮時代の貴族)の区別がつかなくなった混乱の中、成人男性の数を把握し、税金を取り立てるために行った一種の人口調査である。
この号牌法も光海君が実施したものだ。

3つ目は「東医宝鑑」(朝鮮時代の医書)の編纂(多くの文献をあつめ、それに基づいて、新しく記述した書物)である。
宣祖の典医はホジュンだったが、宣祖の死後、典医を殺す慣習を取りやめてホジュンを生かした光海君は、結局「東医宝鑑」の編纂に影響を与えた人物でもある。
ソル・ミンソク講師は「最も興味深いことは『東医宝鑑』に幽霊を見る方法や透明人間になる方法、龍を妊娠する方法など、でたらめなことが書かれていることだ。これは『東医宝鑑』を完成させれば、困った状況に陥ってしまうホジュンが突拍子もないことを書いたと主張している人もいる」と伝えた。

4つ目は光海君の最も偉大な業績であり、映画にも登場する大同法である。
現代でいう所得税のような制度だが、既存の制度は貧富の差を反映せずに税を取り立てていた。
しかし大同法は、裕福な人からは税を多く取り立て、そうでない人に対しては免除する合理的な制度だった。
また、戸別に課していた特産物の代わりに、貨幣の機能を持つ米を納めさせ、内需を活性化させた。
米作りが難しい地域の江原道(カンウォンド)では、布地などを納めさせるといった柔軟性もあった。

さらに彼は「また、黄海島(ファンへド)では貨幣で税を納めさせることを試験的に行った。
三国時代以前から貨幣に関する記録は残っているものの、流通は難しかった。
朝鮮時代後期の光海君8年(1616年)には、貨幣で税を納めさせた。
これが資本主義経済の出発点となった」と伝えた。

5つ目の業績は中立外交だった。
光海君の死後、王座についた仁祖(インジョ)は丙子胡乱(1637年に清が朝鮮に侵入した戦い)で清に屈辱的な降伏をした。
これはもし光海君が中立外交を行わなかったら、どうなっていたのかを見せてくれる結果であった。
最後まで明を頼っていた仁祖は、勢いを強め、ついに朝鮮を攻めてきた清によって屈辱を味わった。
しかし光海君は国内外から批判されながらも中立外交を行い、戦争のような混乱を避けることができた。
ソル・ミンソク講師は「今日、政治的な観点から評価すれば中立外交も大きな業績だと言える」と述べた。

しかし歴史は光海君を悲運の王にしてしまった。
最終的に仁祖反正(インジョバンジョン:光海君を廃し、仁祖を即位させたクーデター)によって廃位させられ、江華島(カンファド)に島流しになった。
当然、王妃ユ氏も光海と一緒に江華島へと向かった。
映画の中の悲運の王妃は、実際にも悲運の王妃だった。

ソル・ミンソク講師は「2歳年下の光海君と16歳で結婚した王妃ユ氏は夫の光海、息子、息子の妻と一緒に島流しにされた。息子と息子の妻は江華島から脱出しようとしたが、捕まって結局自殺してしまった。すべてを見守るしかなかった王妃は、仁祖反正が起こったその年の10月に病気で死んでしまった」と語った。

そして彼は、「昔の王は多くの後宮を持っていた。光海も9人の後宮を持っていた。だから王妃が後宮のせいで胸を痛めたというのは現代の見方であり、当時としては多くの後宮は受け入れられることだった」と付け加えた。

-mydaily-



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