2009年 ペ・ヨンジュン
2017’06.28・Wed
ペ・ヨンジュン[韓美旅]出版記念会-東京
배용준[한아여]출판기념회-도쿄
2009.11.21
舞台デザイン ペ・ヨンジュン[韓美旅]出版記念会-東京/ Stage ArtWorks
2009年9月29日と30日。
日本 東京ドームではペ・ヨンジュンの特別なファンミーティングが続いた。
29日は冬のソナタのアニメーション試演会とペ・ヨンジュン、チェ・ジウ氏のファンミーティングイベント。
30日はペ・ヨンジュン氏の本[韓国の美をたどる旅]の日本出版記念ファンミーティングイベントだった。
我々のチームは30日の公演のために設けられた。
私は美術監督として参加したが舞台のデザインと小道具の選別とデザインまでも担当しなければならなかった。
大きな行事だからといって予算までたっぷりではなかった。
基本舞台構造は日本最高の舞台製作社であるシミズで設計と施工を担当した。
舞台構造は作られているのだから別の見方をしたら私はデコレーションを担当したのだと見ても...いいのだろうか...
舞台-----------------------------------------------
全体舞台のイメージはこのように決めた。

中央舞台の円形ターンテーブル、四方の舞台装飾幕、側面舞台の背景幕のデザインが全体イメージを作り出すが...
誰がペ・ヨンジュンの顔からそれてアングルの外の舞台を見るだろうか...という自嘲混じりの意見もあった。
それでもヨン様が舞台にいない時一度や二度視線を向けてくれるだろう。
中央舞台四面の絵は朝鮮と高麗の木の模様を盗用した。
色感を変え四季を表現するのが意図であり各方向から舞台を眺める人々を考慮した。



側面舞台には韓国の五方色と寺の障子の桟のイメージを選んで作った。

五方色の意味を入れて順に置こうと思ったが舞台全体が白色なので真ん中の通路舞台とつながる感じで白色を中央に置いた。
そもそもの意味では黄色が中央の象徴色だ。
小道具------------------------------------------
小道具と大道具は製作と選ばれた既成品に分けられる。
製作に一番気を遣ったのはヨン様が直接乗る朝鮮通信使の車だった。
もともとは貸りることになっていたのをあらゆる方面で失敗に終わり、急いでデザインし製作してスタッフの手荷物として運送しなければならなかった。どうして~...

ペ・ヨンジュン氏は文化体育観光部長官よりももっと大きな役割をしていると思った。
彼があの椅子に座ることが単なるショーではないという催眠にかかった。
あの椅子はとても丈夫に注文しなければならなかったし車も安全を保障する強度で作られた。
そして重要な役を担った益山弥勒寺址の八角石塔。
図面の資料は本当に貧弱な状況だった。
国会図書館まで入ったが新羅のこの八角石塔は簡単に寸法や重量を公開しなかった。
インターネットの助けで作られたのと等しい。

公演が終わってこの石塔はシミズへ持って行ったと思う。
持って帰れなくて残念だがどこかでその役を果たしているだろう...
挽章と言う行列の旗。
考証よりは格好がいい方向でデザインした。

公演会場でこのように縦に担ぐという旗の形態について行列を指導する先生が指摘をしてくれた。
上部を持つというのは日帝時代に作られた日本をまねた形態だと。
旗は走りながら振ってはためかさなければならないのだが静かに持ってそよぐように歩かなければならないこの旗は私たちの旗ではないと仰る。
資料を見て研究したけれど、これは本当に...無知とはその人の知っていることの限界を見ることだ。
そして重要なことはむしろささいなことだ。
出演されるヒョジェ先生の記念はがきを小道具として選択したのだが
ペ・ヨンジュン側は使うペンとはがきのテストが必要なようだった。
持っていたラミー万年筆で準備したヒョジェはがきにテストをして'こんなによく合います'と証明写真を送ってやっと通過した。

グリップ感、品格、はがきの材質がうまく合わなければならないのがぴったり合う。
イベント中に滲んだりうまく出てこなくても問題。
美術監督としての公演準備はこのように仕上げられた。
東京現場。
その現場はまたどんな心変わりとずれがあるかもしれない。
それは心の準備を必要とする。
----現場の話は次に続く......
同苦同楽----------------------------------------------
演出 ホ・スンミン
助演出 オ・チウン
構成作家 チェ・ウンイ
技術監督 チョン・ソンジェ
音楽監督 シン・ギョンミ
映像監督 パク・ジョンヒョク
扮装 コン・ヘギョン、イ・ジョンミン
音響監督 イ・ユジン
舞台クルー チョン・キヒョン氏とパク・ジュンソン君
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2004年 ペ・ヨンジュン
2017’05.17・Wed
チェ・ジウに次いでヨン様も“手形”設置
2004.11.24

23日、江原道によれば、ペ・ヨンジュンの企画社(BOF)が、ペ・ヨンジュンの手形と共に最近ソウルで開かれた写真展に展示した一部の写真が江原道に寄贈することにしたという。
これによって江原道は、チェ・ジウの手形の隣にペ・ヨンジュンの手形を設置する予定で、ドラマの両主人公の手形が揃い、『冬のソナタ』の撮影地に訪れる外国人観光客の記念撮影の楽しみが増えることと期待されている。
ドラマ撮影地の春川市明洞には、1日数百人の外国人観光客が訪問し、チェ・ジウの手形に手を合わせて写真をとるなど人気であったが、ぺ・ヨンジュンの手形がないので観光客を残念がらせていた。
江原道は、ぺ・ヨンジュンの手形を確保するため数回に渡って企画社側と接触。
ぺ・ヨンジュンは今までCM撮影や国内外イベントなど多忙なスケジュールのため、手形の寄贈が見送られていた。
江原道は来たる26~27日、龍平リゾートで日本や台湾からのアジアファンおよそ1500人余りが参加する<チェ・ジウと一緒にアジアファンミーティング>イベントで、春川の玉の首飾りをチェ・ジウに記念品として贈呈し、アジア圏からの観光客のためには『冬のソナタ』のマフラーを提供。
イベント中、マフラーの結び方を教えるなどして、江原道旅行に新たな思い出を残してもらえるようにする計画だ。
-WoWKorea-


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2009年 ペ・ヨンジュン
2017’05.10・Wed
ペ・ヨンジュンの成功の秘訣、修身
‘韓国の美をたどる旅’本購買韓国より日本でさらに熱狂
배용준의 성공비결, 수신(修身)
‘한국의 아름다움을 찾아 떠난 여행’ 책 구매 한국보다 일본에서 더 열광
2009.11.19 トゥデイコリア
日本で最も有名な韓国人は誰だろうか?
今はペ・ヨンジュンといっても過言でないのではないだろうかと思う。
冬のソナタで日本列島を感動のるつぼに陥れたペ・ヨンジュンの果てしない人気は日本国内で韓流熱風の社会現象を作り出しもした。
ペ・ヨンジュンはみんな知っているように放送スタッフとして活動しながら優れた容姿のため演技者として入城することになった人物だ。
それほど目立つ容姿を先に認められた。
こんなペ・ヨンジュンはデビュー作‘愛の挨拶’から主人公に抜擢されたほど彼に対する期待感はものすごかった。
彼をスターにしてくれたのは1995年作‘若者の日向’だった。
その後 '初恋' '裸足の青春' '愛の群像' 'ホテリアー'に至るまで着実に成長しながら人気を集めてきた彼が人生の大きな転換点になった作品はまさに俳優として最初のデビュー作を演出したユン・ソクホPDの‘冬のソナタ’だ。
冬のソナタを通じて彼は国内よりはアジア圏で絶対的な人気を得ることになった。
近い日本では冬のソナタ熱風を越えて狂風が吹きつけた。
彼は日本では‘ヨン様’という極尊称を贈られ国賓待遇を受けるスーパースターになった。
ペ・ヨンジュンというひとりの人間が韓国を知らせる最高の立場にいることを今は誰も否めないレベルになった。
この前に出した‘韓国の美をたどる旅’はベストセラーに上がり彼の底力を見せたりもした。
この本を買う比率が韓国より日本でもっと熱狂的だというが さらにすごいということができるのだ。
“日本の会見場で韓国の名所を紹介してくれという質問を受けた時、うまく答えられなかったことがあって恥ずかしかった”と告白したペ・ヨンジュンはこんな恥ずかしさから始まり韓国の美を探して経験してそれを本にしたというのは感動的でもある。
ほとんどの人々は心にはあるが行動しない場合が多い。
特にスター級の芸能人ならば容易ではない実践だった。
ペ・ヨンジュンは韓服デザイナー イ・ヒョジェ、衣装デザイナー イ・サンボン、漆工芸家チョン・ヨンボク、伝統酒研究家パク・ロクダン、天然染色家アン・ファジャ、チョンニム和尚、国立中央博物館館長チェ・グァンシク、陶芸家チョン・ハンボン、名唱ユン・ジンチョルなど多くの匠たちと直接会って教わった。
ペ・ヨンジュンは韓国の美しさを見せることができる資料を自ら経験し収集して出版した。
自分で撮った写真と自ら書いた文章は率直さがたっぷりだった。
こういう種類の本は記念物として残される場合が多いが今回はベストセラーとして連続売り切れ事例だった。
‘韓国の美をたどる旅’のためにペ・ヨンジュンは収集だけでなく莫大な量の勉強をしたという。
文化と伝統、そして芸術、知識について熱心に勉強し150冊の参考図書を通して、万一生じるかもしれない失敗を最小化しようとしたという。
記者会見場では自分で本の誤りを率直に告白し確認できなかった事例についても告白したりもした。
事実こういうことは政府がしなければならないことだと思う。
文化観光部や国家の広報機関でしなければならない事をひとりの芸能人がしているのだ。
これとよく似た事例としてキム・チャンフン氏の独島周知活動だ。
寄付天使としても知られたキム・チャンフンは自分の所得の大部分は他人のために使っている。
この前ニューヨークタイムズでキム・チャンフン氏の活動に回答し新聞地図上に独島を紹介しているという。
キム・チャンフン氏が独島広報大使として活動し、ペ・ヨンジュン氏は文化広報大使として活動しているのだ。
アニメーション‘冬のソナタ’によって日本に行って広報活動に殺到した人員が少しどころか5万人に達した。
ペ・ヨンジュンの冬のソナタが初放映されてからも何年も過ぎたが彼の有名税を減らしてはいない。
東京ドームで開かれたアニメーション‘冬のソナタ’のイベントが終わって開かれた日本総理夫人ミユキ女史との出会いでも韓日文化交流に対して多くの話を交わしたという。
ペ・ヨンジュンをして日本総理夫人が韓国について知ること望ませたとしたらペ・ヨンジュンは大韓民国と日本の未来にとても重要な役割をしているのだ。
最近芸能街で起こった事件を見ながら芸能人としての行動と責任について話す人々が多かった。
社会的責任を感じ率先垂範する芸能人がいる反面、自分の利益のためだけに人気を利用する芸能人がいる。
大衆の人気を通じて得た富を賭博でむやみやたらに使い不名誉にもニュースに載る芸能人もいる、麻薬を吸って快楽を追いかける芸能人、飲酒運転をしてひっかかってうなだれていた芸能人、兵役不正で軍服務を避けて結局引っ張られていった芸能人が私たちを悲しませた。
近頃青少年が夢見ている職業は芸能人だという。
自分をきちんと支配することができなくて犯罪を犯す芸能人たちを見ながら青少年は芸能人になればそうするかもしれないと考えたりもする。
しかしペ・ヨンジュンは芸能人としての模範的な姿を見せている。
自分に対する徹底した管理と自分を支配する力を持ち成功の道を歩いているのだ。
天下を得るためには修身が最も重要だという。
ペ・ヨンジュン、彼の修身姿勢を多くの芸能人たちが真似ていくことを期待してみる。
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2004年 ペ・ヨンジュン
2017’04.26・Wed
ペ・ヨンジュン 写真展にドッキリ出演
2004.11.22

去る20日にスタートした“ヨン様”の写真展<The Image Vol.1>が、日本の女性ファンで大盛況を迎えている中、21日午後、予告もなくペ・ヨンジュンが展示場に登場し、びっくりサイン会を行なった。
ペ・ヨンジュンはこの日午後5時、所属事務所BOFにも事前に知らせず、自分の写真展が開かれている蚕室ロッテホテルシャーロッテルームを訪れた。
彼は、野球のキャップにカジュアルな服とラフな姿で、突然の登場に、展示会を訪れていたファンはまるで“ロト”に当たったかのような歓声を上げた。
当時、展示場には100名以上の客がおり、ペ・ヨンジュンは彼女たちのためにゲリラサイン会を開催した。
彼のこの訪問は、20日午後1時に開かれた写真展開幕式が非常に混雑し、ファンの前に姿を現すことができなかったことを惜しんだため。
BOFは、「彼の登場に我々も驚いた。まったく予定されていなかったこと。事前に公表したら、ひどい混雑が起こるからとの配慮だった」「彼は前日、ファンとの時間を持つことができなかったのを、ひどく残念がっていた。そのため今日、突然登場し、ファンと少しでも交流したかったようだ」と伝えている。
ペ・ヨンジュンは、展示場に約1時間強留まり、ファンは彼の突然の登場に驚きながらも、秩序を守ってサインをもらったり、一緒に写真撮影を行なった。
BOFは「日本の団体旅行客は、主に午前に展示場を訪れる。
反対に、ペ・ヨンジュンが登場した午後の時間は落ち着いた雰囲気で、混雑を避けられた」と明らかにしている。
21日までで、ペ・ヨンジュン写真展のチケットは5千枚強売れており、うち相当数を“ぺ・ヨンジュンツアー”で入国した日本の団体観光客が購入している。
この写真展は、韓国では23日まで開かれ、続いて日本・東京で27日にスタートする。
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